永松 野々花さん
昨年、フレッシュ・キャンパス・コンテスト(以下、フレキャン)でグランプリを受賞し、現在、同志社大学政策学部に在学中の永松 野々花さんに京都四条で街歩きしながら、インタビューをしてきました。
錦市場から街歩きをスタート
—– まずは簡単に自己紹介をしてもらえますか。
福岡県出身で、大学1年生のときに全国の大学1年生のミスコンである フレキャンでグランプリをいただきました。
今は、アナウンサーになるという夢に一歩でも近づくために大学時代にしか経験できないことを経験したく思い、セント・フォースに所属して、さまざまな活動をしています。
錦市場は観光客で大賑わい
—– アナウンサーになりたいと思ったきっかけは何ですか?
子供の頃からテレビっ子で、両親が共働きのため、家で一人でテレビを観ていることが多かったです。
そんな一人で寂しい時間にアナウンサーの方の笑顔や話している姿を見て、元気をもらっていました。
私もこんなふうに寂しい気持ちになっている人や元気がない人に、自分の笑顔や言葉で元気を届けられるようになりたいなと、幼稚園の頃からぼんやりと思ったのがきっかけです。
大好きなお肉を見つけると、ついつい足を止めて見入ってしまう野々花さん(笑)
エビフライの載っているパフェ!?(からふね屋三条本店)
—– 具体的にどのような番組をご覧になっていたのですか。
福岡のローカル番組なのですが、「めんたいワイド」とか、「今日感テレビ」とか、福岡のお昼の時間帯は各放送局がローカルの情報番組を放送していて、観るのが好きでした。
ニュースだけでなく、街ぶらしたり、物産展を紹介したり、生活に役立つ情報を提供するような地方密着型の番組です。
すき焼きが食べたくで三嶋亭にやってきましたが、満席。う~ん、残念っ!
—– アナウンサーになるために子供の頃から具体的な活動はされていたのですか。
小学校から高校まで、教室の端っこにいるような目立つタイプではありませんでした(笑)
恥ずかしくて、アナウサーになるのが夢です、とやっと言えるようになったのは、昨年のフレキャンからです。
今、振り返ってみると、中学校の頃は、生徒会の書記をしていました。立候補演説で初めて全校生徒の前で自分のやりたいことを話す機会をいただいたときに、学校の先生にすごく上手だったよと誉めていただきました。
その時に、先生は冗談のつもりだったかもしれませんが、「アナウサーに向いているね」「声がすごく通るね」と言っていただいて、当時はまだ誰にも言えませんでしたが、内心、やっぱりアナウンサーになりたい!と強く思うようになりました。
どうしても すき焼きが食べたくて こま井亭へやってきました!
—– 確かに声が高くて聞きやすい声ですね。
実は自分の声が高くてコンプレックスだったんです。いろいろな人にぶりっ子って言われてましたし(笑)
鴨川沿いの川床の席を用意してもらいました。
—– 高校時代はどう過ごされたのですか。
山岳部に所属していました。
でも、もともと運動がすごく苦手で、走るのも 50メートル走も10秒以上で駆け抜けるというか、ドタドタと走る感じですし、スキップもできなくて、自転車にも乗れなくて、球技も悲惨な動きしかできなくて、、、(笑)
体育の成績も(5段階評価で)3がついたら喜んでいたぐらいです(笑)
自転車は、最近やっと乗れるようになりました。右折、左折ができるようになりました(笑)
5月から9月まで期間は川床の席で鴨川を眺めながら食事ができます。
高校時代もやっぱりアナウンサーになりたいということは言えなかったのですが、3年生の進路を決めるときに、初めて担任の先生に「アナウンサーになりたいので、同志社大学政策学部に行きたい」と伝えました。同志社のミスコン出身の宇垣美里アナウンサーが大好きで、当時はすごく安直な考えだったのですが、同志社の政策学部に行けばアナウンサーという夢に近づくような気がしていました(笑)
元々 京都にもあこがれがあったので、関東の大学に行くよりも京都の大学で歴史とか、京都独自の文化や街並みに触れながら大学生活の 4年間を過ごしたいなと思いました。
「分厚いお肉に、九条ネギ、壬生菜(みぶな 京都の水菜)、ヨモギ麩(生麩)、、、ああ、早く食べた~い♪」
「いただきまーす♪」 「脂身がしっかりとしてジューシーで美味しい」
—– 担任の先生の反応は?
「おまえなんて、無理だよ」と言われると思っていたのですが、「あ、いいんじゃない」と軽く返答があったので、「あ、いいんだ!」って思いました(笑)
次に、両親にも「同志社に行きたいので、一人暮らしをさせてください」と伝えました。
一人っ子なので、親には「九州に残れ」と言われたのですが、私が今までやりたいということをここまではっきりと強く言ったことが初めてだったので、親もビックリして、「そんなにやりたいことがあるのだったら」と許可してもらいました。
受験に合格して、京都にやってきても、親とはよく連絡を取り合っていますし、頻繁に京都に来てくれたりしています。
実は、今日の取材に着る服も母と相談して決めました(笑)
デザートは明治時代に迎賓館として建築され、現在は、改装してホテル、カフェ&レストランとなっている長楽館で。
屋内も当時の状態が保存されています。
—– フレキャンについて教えてください。
全国の大学の新入生だけがエントリー資格があって、まず、書類審査があります。それを通過すると、毎日 SHOW ROOMでネット配信を行います。
応援してくださる人からの投票ポイントによって、人気ランキングの順位が決まるという仕組みです。予選通過の時点で、90名弱でした。そのあと、2次予選、セミファイナルを経て、ファイナルがありました。その中でグランプリを獲得できたのは、すべて応援してくださる方のおかげです。
赤の他人の私にこんなにも愛情をそそいでくれるんだろうと思って、、、。ネット上の名前しかわからないのですが、いまだに応援してくださる方の名前を憶えています。
子供の頃から思っているのですが、私自身、何も持っていない人間なのですが、きっといい人や優しい方をめぐり合わせてくれる運だけは神様がくれたんだと思っています。
左 エキゾチックパルフェ(中はパッションマンゴーとチョコレート冷たいクリーム)
右 ベイクドアラスカ 初夏のバージョン(表面を焦げ目をつけた外側はメレンゲ。中は、4層のアイスクリームで、上からチョコミントのアイス、グレープフルーツソルベ、ライチのソルベ、ストロベリーソルベ。パッションフルーツのソースをかけて食べます。)
—– フレキャンのグランプリを獲得してから、生活に何か変化はありましたか?
以前からセント・フォースが大好きだったこともあり、落ちる覚悟をして、人生のいい経験になるかなと思って、話だけ聞きに行くつもりで事務所のある東京に行きました。事務所に到着したときは「わーっ、セント・フォースって、本当に存在するんだ~!」って思いました(笑) もう、田舎者 満載でした(笑)
有難いことにセント・フォースに所属することができ、所属後すぐに、フジテレビ「めざましテレビ」のスチューデントレポーターとして出演させていただきました。
マンダリンナポレオンというオレンジリキュールでフランベして青い炎が立ち上る姿がアラスカ山脈を彷彿とさせます。
—– どんなアナウンサーになってみたいですか?
アナウンサーの夢が叶えられるのだったら、沖縄から北海道までどこでも行きます。
でも、できるなら、地元の福岡や九州が大好きなので、福岡で地域密着のアナウンサーになりたいです。
有働 由美子さんみたいなアナウンサーになりたいです。報道のときはビシッとされていますが、フリートークになると、柔らかい口調で場を和らげてくれるところが好きです。
パッと切り替えができて機転が利く有働さんのように いろいろな面で活躍ができるアナウンサーにあこがれています。
最後に訪れたのは、ワルダーというベイカリーショップ。パンが大好きな野々花さん。
—– 個人的にやってみたいことはありますか?
山岳部だったのに、まだ富士山に登ったことがなくて、それを聞かれることが毎回コンプレックスだったので、楽しく山頂まで行ってみたいですね。富士山に一緒に登ってくれる人を募集します(笑)
—– ありがとうございました!
(出演 永松 野々花、編集・撮影 森川 創)
関連リンク:
永松野々花プロフィール
https://www.centforce.com/profile/t_profile/nagamatsunonoka.html
永松野々花インスタグラム
https://www.instagram.com/sukiyaki_tabeta/
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