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2020.04.14話題・おもしろ

アニメ pet/夏目友人帳/デュラララ!!/海月姫などを生み出した 大森 貴弘監督にロングインタビュー! (前編)

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©三宅乱丈・KADOKAWA/ツインエンジン

 

先日まで放送して好評を博していたアニメ『pet』や『夏目友人帳』『デュラララ!!』『海月姫』などなど、数々のアニメヒット作品を生み出している大森 貴弘監督(以下、大森監督)に監督になるまでの経緯や担当されたアニメ作品を中心にアニメのお話をたっぷりとお聞きしました。
今回はそのインタビューの前編です。

 

大森 貴弘監督

 

—– まずは、アニメ監督になるまでのお話を聞かせていただけますか。

 

子供の頃からマンガを読むのも描くのも好きで、自然と周りに絵を描く友達が徐々に増えていったんです。
中学時代に、今は特撮監督・映画監督の神谷誠くんや、NHKを中心にディレクターをしている都築真くんに出会いました。

彼らと高校時代に一緒に同人誌をつくったのが、この業界に入ったきっかけです。

それまで自分でそれなりに絵は上手い方だと思い込んでいたのですが、都築くんや一緒に遊んでた絵を描く連中が、自分とは段違いなレベルの画力でして(笑)

思えば絵に関しては、あれが最初の挫折だったかも知れません。彼らには、大変に刺激を受けましたね。

彼らと作っていた同人誌は、主に取材を中心にした企画が多くて、今にして思えば取材の体(てい)で作り手に会いたい、という動機が大きかっただけだと思うのですが、業界の人に会いに行く機会が多かったんです。

その時に『超時空要塞マクロス』のメカ作監(メカニック作画監督)をされた板野一郎さんや『うる星やつら』の原画・作画監督をされた西島克彦さんなどにお会いしました。
それで高校2年生の頃、当時は『うる星やつら』が大ヒットしていまして、ご多分に漏れず高橋留美子さんの原作漫画を夢中になって読んでいた僕らは、『めぞん一刻』の本を作ろうと原稿を依頼するために、当時『うる星やつら』の作画で定評のあった西島さんに、企画書を携えて相談に行ったんです。

ところが、僕ら以上に『うる星やつら』に思い入れの強かった西島さんから、「こんな生ぬるい企画でいいのか!」と一喝されまして(笑)

それを受けて編集長だった都築くんに火が点いて、企画を練り直して出直す事にしたんです。
そうして作り始めたのが、アニメ版『めぞん一刻』のメイキング本で、当時、徳間書店から『ロマンアルバム』と言う制作メイキングを扱ったムック本が出版されていたのですが、それの『めぞん一刻』版を作ろうというものでした。

当時アニメ化されていなかった作品の素材を、あたかも放送中という体で作って、アニメ化されたらこうなる、とシミュレーションする、というものだったんです。

その本で、なぜか美術設定と言う役割を無茶振りされまして、それまで描いたことがなかったパース(遠近感を表現するための絵画の技法)をきっちり取った絵を、四苦八苦しながら作っていきました。
それと、プロの方々に依頼するに辺り、僅かでも原稿料を支払う必要があったのですが、それまで作っていた同人誌と規模が段違いだったので予算が足らず、コミケなどの同人誌即売会で前売りの形態で300人ぐらいの予約をいただいて、その収益を制作費に充てたり。

でも結局、完成するのに1年ちょっとかかってしまいまして、当時のお客さんには、ずいぶんご心配おかけしたんじゃないかと思います。
その時のつながりで、高校卒業後、アニメーション制作会社スタジオディーンにお世話になることになったんです。

 

 

—– そこからアニメ監督の道に進まれたのですか。

 

いえいえ、そんな簡単には出来ませんので、そこからまだ紆余曲折があります。

1年ぐらいでスタジオディーンを辞めて、先輩や都築くんらと5人で武蔵境にアパートを借りて、作画スタジオを始めました。動画で下積みを積んで原画に上がる、というのが本来のステップアップなのですが、まあ、ショートカットと言うかズルと言うか、フリーになって勝手に原画の仕事を取ってしまえ、と(笑)
そこで1年ほどやって、普通に原画をこなせるようになってきた頃に作画スタジオを解散して、当時つきあいのあった葦プロダクションに、フリーのアニメーターとして在籍しました。

当時は SF・メカアニメの全盛期で、ロボット作画で有名だった羽原信義さんや大張正己さんが作画監督を担当された、『超獣機神ダンクーガ』や『マシンロボ クロノスの大逆襲』などの作品で、メカやエフェクト(光や水などの自然描写や爆発やビームなど)のシーンを担当する事が多かったです。
そとあと脚プロを離れてまた転々としながら、当時江古田にあったスタジオ・グラビトンに週2くらいで遊びに行っていて、ディーン時代の先輩で、のちに僕をメカ作監(メカニック作画監督)として『クラッシャージョウ』に誘ってくださった、アニメーターの平田智浩さんや、『エヴァンゲリオン』の監督の庵野秀明さんと、麻雀を打ったりして遊んで頂いてました(笑)

その後も安彦良和さんの『ヴイナス戦記』や庵野さんの『トップをねらえ!』や『ふしぎの海のナディア』などのメカ作画要員として声をかけていただいて、お手伝いしたりしました。

この頃はメカ系作画の仕事が多かったのですが、元々演出家志望だったので、人物の動きや芝居を考えるのが楽しいと思っていて、メカを描くのは嫌いではなかったものの、今思えば段々行き詰まって行く感じはあったように思います。

それに加えて、夢中になってやっていけばいくほど生活も苦しくなってきて、仕事に対する倦怠感のようなものを感じ出しました。

自分にこの仕事は長くは続かない、辞めてしまおうか、と日々悶々としていた頃、『楽しいムーミン一家』が制作されることを知ったんです。
僕はいわゆる『昭和ムーミン』世代なのですが、中学生の頃にトーベ・ヤンソンさんの原作童話に触れて、哲学的な内容を、子供にも伝わるように物語を紡いている点に衝撃を受けまして、アニメ業界に入ってからも、自分の物作りの原点と言うか、精神的な支柱にしていたようなところがあります。

だから、これをやらずに辞められないと思い、こちらから仕事を下さいと電話して、制作に関わらせていただきました。

最初は原画に携わり、次に演出助手から最後は念願だった演出も担当しました。
この頃、『ムーミン』と並行して、スタジオぴえろの深草礼子プロデューサーが担当された『江戸っ子ボーイ がってん太助』の作画監督もしていたんですが、実はこの仕事がのちに転機となる縁に、繋がって行く事になります。

 

—– メカ作画から演出や作画監督へとアニメの仕事が広がっていったのですね。

 

『ムーミン』の仕事自体は楽しかったのですが、やはりこの業界でやっていけないという漠然とした不安は消えてなくて、2年弱の制作期間が終わるタイミングで、一旦アニメ業界から退きました。25歳の頃だったと思います。

 

 

とにかくまともな仕事に就かなきゃ、と言うような変な焦りがありまして、次に何をやりたいといった展望もなく辞めてしまったので、ガソリンスタンドでバイトをしたり、通りすがりの舞台照明の会社に飛び込みで営業希望で入ったのですが、完成品の照明用レンズを手を滑らせて落として割ってしまい、2週間でクビになってしまったり(笑)
そうこうしているうちに、ふらふらしている僕を見かねた知人の紹介で、ディックスプロモーションというカラオケや企業VP(ビデオパッケージ)の映像制作の会社で、制作進行兼アシスタントディレクターとして働くことになったんです。
カラオケの映像制作は低予算なので、制作部 1人、撮影部は ENG(カメラ・照明、ビデオエンジニア)各1人、ヘアメイク1人、出演はモデルか小劇団の役者 2〜3人という少人数のスタッフ構成、衣装も自前で 1日 2曲分の制作を行っていました。

編集までのスパンが短くて、出来上がるサイクルが早かったですね。
右も左もわからない業界、25歳での再就職だったので、年下のスタッフに怒られながら走り回っていくうちに、だんだん要領をつかんでいきまして、1年もするとすっかり馴染んで楽しくなってきたんです。

小規模な作品なのですが、作っている人たちもいい加減なものを作ろうとは思っていなくて、1曲にひとつの物語をと、出来得る限り自分たちの爪痕を残そうとしている姿がとても頼もしく、面白く、勉強になりました。
ディレクターは人によってそれぞれみんな違うやり方がありますし、カメラマンの個性やそれを活かすディレクションの仕方も違います。ヘアメイクさんがスタッフと演者さんの間に入って、潤滑油のような役割をしているのも見ることができました。
これが大きな規模の現場なら、走り回るのに必死でそこまで注意がいかなかったと思いますが、制作は私ひとりで、それ以外の役割も「色」をちゃんと出して、1つの作品が出来上がっていくという経験は、後の監督業をするに当たって非常に大きかったですね。

ただ、レーザーカラオケや CDカラオケは曲に合わせて映像を制作するのですが、その後、再生機が通信カラオケに変わると、1曲ごとにひとつの映像を流すのではなく、「雨」とか「夜」とかのテーマに沿ってそれっぽい映像を作る、という発注に変わっていきました。

サービススタート当初は大変な量の発注があったので、余計な事を考える余裕のないくらい仕事は忙しかったのですが、曲ごとのドラマを作れなくなって、少しずつ作品を作る面白さは減って行ったような感じでしたね。

 

 

—– カラオケなどの映像制作のご経験がのちの仕事に活きてくるのですね。

 

その後、ディックスプロモーションを 3年ほどで辞めた翌日に、偶然スタジオぴえろの深草プロデューサーから、一昨年ドラマにもなった『今日から俺は!!』のアニメ版OVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション)の原画を手伝ってほしい、と電話がありまして、あちらは僕の事情はまったく知らずにかけてきたのですが、これも縁かと思い受ける事にしまして、ここからアニメの仕事を再開することなったんです。
『今日から俺は!!』の仕事を終えた頃、先輩の平田さんに僕が業界復帰した事を報告したところ、あだち充さん原作の『H2』でプロップ(アニメに登場する小道具)の設定をやらないかと誘われて、当時はフリーでカラオケの映像の制作の仕事も受けていたのですが、平行して作画や設定の仕事もやって、1ヶ月のうち 2週はアニメ、2週は実写の仕事、というような生活でしたね。

そんな中、深草さんから劇場版アニメ『新きまぐれオレンジ☆ロード そして、あの夏のはじまり』のダンスシーンの作画の依頼がありまして、そのシーン担当のアニメーターが急病で倒れ、急遽、代わりのアニメーターを探しているとのことでした。

ビデオ撮影されたダンスの動きをガイドに原画に起こす、といった内容で、当時はそれをプリントアウトするのも難しかったですし、VHSデッキでコマ送りしながら紙にポイントをメモして作画に向かう、と言うような作業になりました。

極めて割りの悪い仕事なので、何人もに断られたそうなんですが、僕はたまたまカラオケでそのような映像をやっていたこともあり、描いてみたいと興味を持って受けたんです。
この『新きまぐれ☆オレンジロード〜』は、京都アニメーションのメインスタッフが中核を担って制作されまして、昨年の痛ましい事件で亡くなった木上益治さんが作画監督をされていて、僕の原画はキャラが似せられなくてご迷惑をおかけしたんじゃないかと思います。

その後の自分のぴえろでの監督作品で、京アニさんには何度もお世話になったので、事件は本当にショックでした。

 

—– 私のようなアニメファンのみならず、多くの人に衝撃が走った痛ましい事件でした。

 

その仕事が終わってしばらくしてから、深草さんから次回作で演出の仕事をお願いしたいので相談しましょうと呼び出されまして。ぴえろに行ってみると、原作のコミックスを渡されて「監督をやってほしいんです」と。

面食らいましたね。監督以前に、各話演出の仕事もムーミンで3本程度しか経験がなったので、何か深草さんは僕のキャリアを勘違いしてるんじゃないかな、と。

でも、よくよく依頼された理由を聞いてみると、ひとつはみんながやりたがらなかった『きまぐれオレンジロード』のダンスシーンを断りきれずに請けてくれたということ、それと『江戸っ子ボーイ がってん太助』では演出をさせてあげられなかったからと、それが深草さんの中では心残りだった、いうことでした。断りきれなかったわけではないのですが、そういう人の良さ、みたいなものがこの作品には必要、と考えられたようです。
それが『赤ちゃんと僕』という作品でした。これが監督デビュー作です。
『赤ちゃんと僕』は、不慮の事故でお母さんを亡くした小学 6年生の男の子と生まれたばかりの赤ちゃんとパパの父子家庭のお話です。6年生の拓也くんが母親代わりになって 赤ちゃんを育てていくというストーリーで、経験豊富な監督ではなく、主人公の拓也くんと一緒に、試行錯誤しながら育っていける人に頼みたかった、ということで抜擢して下さったようです。
はたしてその深草プロデューサーの人選が当たってか、幸いにもご好評をいただきまして、2クールの予定が 3クールまで延長となりました。

その後、ぴえろで6作品ほど監督を歴任させていただき実績もできて、他のプロダクションでも監督のお仕事をいただけるようになったんです。

だから、今は定年で引退してしまいましたが、深草さんには足を向けて眠れません。

 

 

—– これで監督として、ようやく専念することになるのですね。

 

本業はそうですね。やっと地に足が着いた感じです。

ただ、副業と言うか遊びのような感じですが、監督業と平行して、カラオケ映像時代に知り合った友人が、荻窪に「ジェリーフィッシュ」というバーを開店しまして、今はもうありませんが、そこを日曜日だけ、3年ほど手伝っていました。

カウンター前に大きな水槽を入れて、クラゲを入れて、うちのナンバーワンホステスです、なんて言って(笑)

バーと言っても大して売上も行かない、溜まり場みたいな感じです。
のちに『夏目友人帳』の音楽を担当してもらう、吉森信さんともここで知り合ったんですよ。

 

—– 本当におっしゃるとおり、紆余曲折、いろいろなことをされていたのですね。

 

アニメの仕事で挫折した頃は、なぜか実写の方が、今、机にしがみついてやってる事をもっと簡単に出来るんじゃないかとか、変な思い込みがあったと思います。

今思えば単なる逃避なんですけど(苦笑)

実際に小規模とは言え実写の仕事をして、過程のエネルギーの使い方が違うだけで、どちらも本質的には変わらないと感じました。
自分のあり方が変わっていけば、見方も変わってくると実感しました。
だから寄り道した事に後悔はなく、これまでいろいろとやってきた経験が、『赤ちゃんと僕』以降の監督作品を作っていく中で、大きな礎になっていると思います。
アニメーション制作は根を詰めたデスク作業が主ですし、各担当部署と打ち合わせをしたあとは、自分のイメージとスタッフみんなの提案も取捨選択して、少しずつ積み上げて完成に近付けていく、という感じで、スピード感が実写とはかなり違います。

でも、実写の監督たちのアプローチやあり方が、アニメの演出にも持ち込めると思ったんです。

 

『pet』でカットになった幻の絵コンテ

 

—– 最近の監督作品について、お話をお聞きしたいところですが、それは、後編のお楽しみにしたい思います。

 

©三宅乱丈・KADOKAWA/ツインエンジン

 

TVアニメ 『pet』

2020年1⽉よりTOKYO MX、BS11、AT-X ほかにて放送

Amazon Prime Video にて日本・海外独占先行配信

 

Blu-rayBOX  5月20日発売決定!
https://pet-anime.com/animation/bd/

 

【イントロダクション】
人の脳内に潜り込み、記憶を操る能力を持つ者達がいた。
人は恐れ、蔑み、彼らを「pet」と呼ぶ。
能力者である “ヒロキ” と “司” は特別な絆で結ばれていた。
彼らは互いに縛り合うことで、自身をも蝕むその力から脆く危うい心を守った。
『ただ、一緒にいたいだけ』
そんな彼らのささやかな願いを裏社会の組織“会社”は無情にも利用し、翻弄する。
歪んでしまった2人の“絆”がもたらす結末とは──?

 

©三宅乱丈・KADOKAWA/ツインエンジン

 

<スタッフ>
原作:三宅乱丈『ペット リマスター・エディション』(ビームコミックス/KADOKAWA刊)
監督:大森 貴弘
シリーズ構成:村井 さだゆき
キャラクター設計:羽山 淳一
アニメーションキャラクターデザイン:工藤 昌史
音楽:島 秀行
制作:ジェノスタジオ
製作:ツインエンジン

<キャスト>
ヒロキ:植田 圭輔
司:谷山 紀章
悟:小野 友樹
林:加瀬 康之
桂木:咲野 俊介
ジン:M・A・O
ロン:遊佐 浩二
社長:飛田 展男

 

(出演 大森 貴弘監督、撮影・編集 森川 創)
関連リンク:
待望の TVアニメ「pet」いよいよ 2020年 1月より放送開始!
https://tanonews.com/?p=21014
アニメ「pet」公式サイト
https://pet-anime.com
アニメ「夏目友人帳」公式サイト
http://www.natsume-anime.jp/
アニメ「デュラララ!!×2」公式サイト
https://www.durarara.com/
アニメ「海月姫」公式サイト
https://kuragehime.net/

大森 貴弘監督
https://twitter.com/t0mori

 

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