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2021.12.09話題・おもしろ

「私」という人間を生きている! いろいろなことにチャレンジしている河西歩果さんにインタビュー!

楽しいニュースでは、cent.FORCE sprout「自己PR研究所」にも2度登場されたことがあり、高校まではフィギュアスケート、学生時代は勉学の傍ら、フリーアナウンサーとして活躍し、現在は、さらにヨガや自らのブランドも立ち上げて多彩な才能を発揮されている河西歩果さん(以下、河西さん)にインタビューしてきました。(「自己PR研究所」

 

河西 歩果さん

 

インタビューと撮影した場所は、埼玉・浦和パルコで、12月5日まで『KAIDOU MARKET vol.1』を開催していました。

 

埼玉・浦和パルコ で12月5日まで開催していた『KAIDOU MARKET vol.1』

 

ファッション、アート、フード、書籍、インテリアなど様々なジャンルの次世代のクリエイターたち×浦和地域によるポップアップショップとワークショップのマーケットイベント。
『KAIDOU MARKET』の名前には、 中山道六十九次のうち江戸・日本橋から数えて 3番目の宿場があった浦和の歴史をベースに、浦和PARCO 1Fのメインストリートを街道と見立て、過去の賑わいを現代に新しい形で届けたいという想いが込められています。

 

 

—– まずは簡単に自己紹介をお願いします

 

一言で言うのは難しいですね。いろいろな立場があって、最近、何をしている人かよくわからないと言われます(笑)
本当は、「私」という人間を生きている、と言いたいんですけど、メインになるのは、フリーアナウンサーとしてイベントの司会やナレーション、ラジオDJの活動ですが、加えて、ヨガのインストラクターをしたり、ヨガのブランドを立ち上げてディレクターをしたり、それ以外にもいろいろとライフワークとして行っていたりしています。

 

—– 小さい頃はどんな子供でしたか?

 

母から聞いた話や残っているビデオなどを見ると、目立ちたがり屋の子供だったようです(笑)
劇で主役をやったり、歌ったり、サンリオピューロランドの舞台に子供たちが上がって踊れるのですが、その舞台に上がって踊ったりするのが楽しくてしょうがない子でした。
出身の山梨県に小瀬スポーツ公園というアイスアリーナがあって、スポーツ少年団のスケート教室があります。
両親は小学校の教員で、小学生にはスケート教室が毎年あるので、そのスケート教室のチラシを見つけて、5歳の頃に親に「フィギュアスケートやる?」と聞かれたら即答で「やる!」と答えていました。
5歳だったので始めた頃のことはあまり覚えていないのですが、小さかったので、(スケートに対して)怖いという感じも持たずにできたんじゃないかと思いますし、衣装が可愛かったですし、ただただ楽しかったという印象でした。

 

 

—– 競技として、いつ頃から成績が上がってきたのですか?

 

フィギュアスケートを始めて1年ぐらいで中部日本大会でいきなり優勝しちゃいました。
小学校3年生の時には全国の有望新人を発掘する合宿があって、2年上の羽生くん(羽生結弦さん)と一緒の合宿でした。
その合宿の 2年目のノービスBというジュニアクラス(小学校 4-6年生)の小学校 5年生のときに、数百人の中から 全国大会に出場できる 6人のシード選手に選ばれました。
その頃から、関東大会では毎年優勝したり、全国大会では毎回ヒト桁の順位ぐらいには入っているような感じでした。
同い年の選手では、本郷理華さんや庄司理紗さんがいます。宮原知子ちゃんが1年後輩になります。

 

 

—– スケートをやめたのはいつごろですか?

 

高校 3年生でスケートは辞めて、それ以外の進路に進むことをずっと前から考えていました。
山梨から出て、他の世界もみてみたいと思って、「大学に進学する」 = 「上京する」というのを当然のように思っていました。
そして、中央大学の法学部に進学しました。
でも、弁護士・裁判官・検察官になるという法曹コースに進むことは考えていなくて、もともと、話すことも書くことも好きな私にとって、法学が興味のある学部でしたし、また、就職にも有利な大学・学部と思っていました。

 

 

—– フリーアナウンサーなどが所属するセントフォースに所属するきっかけは?

 

中央大学に入学が決まったときに、SNSで大学のことを調べたら、ミスコンテストのことがヒットしました。
「大学生でこんなに綺麗な人たちがいるんだ!」ということに驚いて、ドレスを着て、写真を撮られたりしている姿に衝撃を受けました。
入学した 1日目にミスコンを運営している学生団体の方から「出場してみない?」と声をかけられて、まさか受かるとは思っていませんでしたが、1年生で出場したところ、ファイナリストに選ばれました。
学生団体OASISが主催する大学 1年生限定のコンテスト OASIS Campus Collection にも優勝しました。
そして、そのミスコンの活動期間中に、セントフォースにスカウトを受けました。
入所して 1年生の冬からフリーアナウンサーとして芸能活動も開始しました。
サマーガールとか、元気系とか、ひまわりのような、太陽のようなといった元気いっぱいキャラとして活動していました。

 

 

—– 日本テレビのニュース番組「news zero」に抜擢された経緯を教えてください

 

大学 4年生の 7月ごろというのは、学生は内定が出る頃ですが、私は就活もしていなかったですし、テレビ局のアナウンサーになる気もありませんでした。
ただ、大学 2年生から芸能事務所のマネージャーやベンチャー企業の人事部でインターンとして少し働いていたこともあり、そこに就職することもできました。
芸能活動を続けるか、就職するか、どちらにするか、いろいろと迷っていた頃でした。
そんなとき、マネージャーさんから news zero のオーディションを受けてみないかと連絡がありました。
受かるわけがないと思っていたのですが、なぜか受かってしまいました(笑)
採用された理由は、読みが安定しているからということと、また、その前にゲストで出演していた「今夜くらべてみました」の放送を観てちょっと気になっていた、とあとから聞きました。

 

 

—– 出演して緊張したりしましたか?

 

カメラを見てしゃべるだけなので、そんなに緊張はしなかったのですが、地上波の番組のいろいろなルールや他のキャスターさんと違う「カルチャー&お天気」担当という立ち位置について、学生ではなく社会人として番組に関わらなければいけないという難しさは感じました。
また、読み方についても、事務所で習ってはいましたが、クセもありますし、少し山梨のイントネーションもあったのでそのあたりを直したりすることには苦労しました。
でも、一番大変だったのは、news zeroを始めて 1年半が経過したころに新型コロナウイルスが流行してきたことでした。
自分の行動が制限され、電車に乗れず、送り迎えはすべてタクシーで、放送が終わると反省会もなく、そのまま帰宅するという生活。
カルチャーコーナーのインタビューやロケもできなくなり、番組スタッフさんたちとも気軽に会って打ち合わせすることができなくなりました。

 

 

—– 写真集を出されていますよね?

 

東京ニュース通信社の女性編集者さんから写真集を出してみませんかと声をかけていただきました。
以前、「blt graph」という雑誌に出させてただいたことがあり、その時の編集部の方からお声掛けをいただき、実現しました。
撮影場所は、わがままを言って、バリ島にしてもらいました(笑)
自然の中で戯れる姿を、その時の自分を等身大で写真に残してくれ、また、自分の人生を紐解いたインタビューも付けてくれて、すごく良い記念になりました。

 

—– news zero 以降、現在に至るまでについて教えてください

 

事務所退所前に自分の中で大切に思っていたのは、結婚をすることでした。
当時 24歳だった私には、あと 3~5年は地上波やラジオの番組レギュラーを目指して努力を続ける必要がありましたが、番組のオーディションを「ただ待っているだけ」で事務所に所属し続けることに、もどかしさを感じていました。

自分で努力したことを結果に繋げられるような、自分自身の満足度が高まるような選択をしたいと思い、事務所を辞めることを決めました。

現在は、フリーランスとして特定の会社だけに属さず、自身でデザイン、経営するヨガウェアのブランドもローンチしています。

大学時代のインターンの頃から、エンタメ企業、芸能事務所、広告代理店、ポップアップを行っているクリエイター集団、地方創生関連の会社なども手伝っています。

 

 

—– いろいろと幅広く行っているのですね

 

肩書きや職場は、1つに定めたくないと思っていて、それを毎日体現しているような状態です。
私は、「女性の生き方」にものすごく関心を持っています。

女性は自分の生きていく道を自分で切り開いてほしいし、自分の人生に責任を持ってほしいと思っています。

結婚、出産といったライフステージで、女性が何かをあきらめなければならない状況になってしまう現状があるのではないかと。

旦那さんの収入があるから働かないとか、子育てだけに専念したいとか、そういったことももちろん選択肢のひとつですが、今は終身雇用の時代でもないですし、会社の名前に頼るだけの働き方ではなく、自分の手にスキルを持って、いざというときに納得いく生き方を選択できるように、世界を広げておくことが大切だと思っています。
私がこれまでやってきたことをまとめると、選択肢を広げる人生でしたし、今後も場所を選ばずに、どこにいても働けるお母さんになりたいし、どこに行っても自分の軸がブレない女性でありたいです。
今は、自分が理想としている女性の生き方を体現している途中、という感じです。
1カ月前に結婚したのですが、彼も私の考え方を認めてくれています。
現在は、東京と山梨と 2拠点で活動しています。

山梨の農家さんと東京で活動する方たちを繋げたりすることもあり、観光業者と農業チームの共同ツアーを企画したり、美容師さんとの商品開発をしたりもしています。

 

河西さんのヨガウェアブランド「iha (イハ) 」

 

—– 最後に自分のブランドを立ち上げているということで、一言お願いします

 

大学生の頃からヨガが好きで、インストラクターとしても活動しています。
リラックスタイムにも、タウンウェアとしても使える、もっともっと生活に馴染むヨガウェアをつくりたいと考え、ヨガライフスタイルブランド ” iha ” (イハ) を立ち上げました。

 

”心と身体に余白を。”

ihaはサンスクリット語で「いま、ここ」という意味を持ちます。自分と、自分の時間を大切にするために、普段と少し違うウェアを着る。それによる生活の変化を楽しんで欲しいと考えています。

そして、ヨガウェアの概念を変えることをミッションとし、ヨガやウェアを通して自分軸で生きるマインドを伝える活動を行っています。

これからも自分のペースで、誰かの人生に変化をもたらせるようなマインドを伝えていきます。

 

 

 

—– ありがとうございました!

 

 

(取材協力: 浦和パルコ、qutori、出演: 河西 歩果、撮影・編集: 森川 創)
関連リンク:
セント・フォースsprout「自己PR研究所」 河西 歩果(1)
https://tanonews.com/?p=12495
セント・フォースsprout「自己PR研究所」 河西 歩果(2)
https://tanonews.com/?p=12578